2019年のブログ

2019/03/17

「小野友五郎」(笠間藩(茨城))数学の力で活躍した武士

「江戸の天才数学者」(鳴海風著)からのご紹介です。

幕末から明治中期に活躍した和算家の小野友五郎のご紹介です。明治150年も過ぎましたが、旧幕臣で明治の近代化の現場を担った人材の一人が笠間藩(茨城県)の小野友五郎です。下級武士の家の生まれで、身を立てるために「和算」の勉強をはじめました。


小野の数学の能力は高く評価され、老中阿部正弘から幕府天文方出役が命じられました。天文方ではオランダ語で書かれた航海術の本の翻訳の数学的な知見からの補佐をしました。小野友五郎はこの天文方でジョン万次郎と出会いました。


幕府はペリー艦隊が来航したことをきっかけに長崎に長崎海軍伝習所を創設しました。小野友五郎は第一期生として長崎海軍伝習所に入所しました。長崎海軍伝習所では、三角関数、指数、対数、級数などが教えられていました。小野友五郎の数学の能力は高く、オランダ人講師たちを驚嘆させたそうです。


歴史の歯車が回転し、日米修好通商条約の批准書交換のため、ワシントンに使節団が派遣されることになりました。米国船(ポーハタン号)に乗船する正使と、日本人が操船する船(咸臨丸)に乗船する「別船仕立ての儀」で、太平洋を渡航しました。咸臨丸には、小野友五郎、ジョン万次郎、勝麟太郎らが乗船していました。この航海での小野友五郎の測量術の高さは咸臨丸に乗船していた米国海軍士官のブルック大尉も一目をおきました。


小野友五郎は米国から帰国後、咸臨丸でジョン万次郎らとともに、小笠原諸島の測量を行いました。この測量で、小笠原諸島が日本国の領土として確定しました。(国立公文書館、激動幕末、開国の衝撃、小笠原回収)http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/bakumatsu/contents/category04.html

東京都小笠原村の公式サイトhttps://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/


幕府瓦解後は、旧幕臣の矜持から新政府の海軍建設には参画しませんでしたが、国を思う気持ちは強く、民部省からの出仕要請を受けました。民部省での仕事は鉄道敷設のための測量業務でした。日本人の技師長をしていたようです。そして、東京と京都を結ぶ鉄道の路線について、東海道線の敷設を勧める報告書を作成しました。


また、明治初期の数学教育や国語教育にも足跡を残しています。そろばんも和算も全国に普及していたので、和算と西洋数学を併用することを文部省に献策し、それが受け入れられ、大正年間まで和算と西洋数学の併用が続きました。使用する漢字の数を制限することを提言しています。


その後は、数学とどうかかわりがあるのかわかりませんが、製塩技術開発に取り組み、天日製塩法を完成させたそうです。御代代わりの5月の連休、幕末・明治の激動期を生きた人々を振り返るのもよいですね。


詳しくは「江戸の天才数学者」(鳴海風著)をお読みください。

鳴海風さんのウェブサイトもあります。ネット検索するとすぐ見つかります。


茨城県笠間市のウェブサイトより(小野友五郎生誕200年を記念して作成された動画)


茨城県笠間市のウェブサイト



茨城県笠間市のウェブサイト(小野友五郎)


咸臨丸子孫の会のウェブサイト


長崎の出島(海軍伝習所が近くにありました)


浮世絵で見る江戸、築地


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